いくら「未来志向」と言っても‥(1)
数の列(数列)がある数字に近づいていくことを「収束」と言い、その数字の事を「極限値」と言います。
高校数学では、数列{a1,a2,‥}がある数Aに収束することを、
数列anがAに限りなく近づく
と習います。
大学数学では、同じ内容を、
任意のε>0に対しある番号Nが存在し、n>=Nを満たす全ての番号nについて|an-A|<εが成り立つとき、数列{an}はAに収束するという
と表現します。
これらは同等でしょうか?
高校数学の方は、極限値のイメージを言っているにすぎません。それは言葉通りであり、確かに受け入れやすい。
一方大学数学の方は、極限値の明瞭な数学的「定義」です。
一見とっつきにくい印象ですが、言葉の意味を定義することで、学問は厳密さを担保しています。
それにより、今の場合だと数列論、級数論、解析学がよって立つ基礎が与えられるのです。
自然科学とはそういうものです。
はい、では量子力学のスピリチュアルバージョン
「潜在意識を変えれば、それが行動に反映し、周囲の人間にも伝わって、人間関係が好転し人生がうまく行く」
つじつまが合っていそうです。しかし本当でしょうか?
潜在意識、およびそれと対置される顕在意識とはそもそも何なのか?
「潜在」、「顕在」という言葉の意味は明瞭ですが、それが「意識」と結びつくと、その指し示す対象はどのようなものなのか?
更に、「意識」の定義も研究者によって異なるという事実にも注意が必要です。
「潜在意識」に関し、話者は(イメージのみならず)明確な定義を持ち、それを聞き手に提示しているのか?
聞き手は明瞭な意味を持って言葉を受け取っているのか?(イメージだけではないのか?)
受け取った内容が本当かどうかの検討、それが「科学的」ということです。
そして、言葉の定義が明瞭になされたのち更に、「行動に反映し」、「周囲の人に伝わって」、「人間関係が好転し人生がうまく行く」ことを検証によって実証しなければなりません。
ここでの検証は多くの場合統計的なものになるでしょうか。
とにかく骨の折れる作業です。
科学は面倒くさいし、骨の折れる、泥臭い作業の連続なことが多い。
しかしそれを避けて通ることはできないのです。
言葉のイメージに踊らされないように、注意することが重要です。