Beyond Visibility

不思議現象を「根拠を持って」科学する

潜在意識とは?

 

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潜在意識は脳の並列分散処理?

感情・気分の状態によって周波数が系統的に変化する電磁波(フォトン)が身体から放出されている(「自分発信」)、という事実は確認されておらず、科学的根拠はないことについて以前述べました。

「意識はフォトン」論

https://phtheory.hatenablog.com/entry/2019/06/20/132921

 

今回取り上げるのは、「どんなに幸せな未来を願っても、潜在意識にある感情がネガティブだと低いヘルツの自分発信となるため、引き寄せるのは不幸せばかり」という論議

 

「低いヘルツ」という言い回しがまず、もう‥、ね。

「低い・高い」を議論できるのは「物理量」であり、今の場合それは周波数(もしくは振動数)。

ヘルツはその物理量の「単位」です。

 

「高い山」

意味は分かるし、日常会話として自然ですよね?

「高い」は「山」にかかる形容詞で、そのココロは「山の高さ」という「物理量」が大きいことを示しています。

 

しかし「メートルが高い山」とか「あの山はメートルが大きい」とは言いませんよね。

メートルは高さの単位に過ぎません。

このような言い回しは科学的議論のみならず日常会話レベルでもへんてこりんです。

 

「低いヘルツ」などという言い回しを平気で使う人に、より厳密性を求められる科学的議論ができるとは私には思えません。

 

ところで「潜在意識」とは何でしょう?

 

慶應大学・前野教授は自身の提唱する「受動意識仮説」において、ヒトの心の働きは数多くの並列分散型情報処理の集合、と論じています。

脳内情報処理過程において、知覚や情動、意思決定、記憶の想起などの働きが同時並行に行われ、その中の最も主だった、最も多くの神経細胞が関与した処理だけがボトムアップ的に、ある特定の時点で経験した知識・経験として脳内記憶装置に受け渡され、単純な時系列の直列型記憶(エピソード記憶)として保存され将来の思考に活かされる、と。

 

貴方は今、オープンテラスのカフェでコーヒーを飲みながらパソコン作業している、としましょう。

ワープロソフトで文書作成している貴方は、おそらくパソコンの画面を見て、次にどんな文を書き出すか、さっき書いた文章は意を尽くしているか等々、文の執筆に汗を流しています。

 

突然腕を蜂に刺されました。

まず、とても痛い!

その上それがもしスズメバチなら放ってはおけません。

毒の対処もしなければなりません。

この時はもう、文書の執筆どころではないでしょう。

 

事後に貴方のエピソード記憶に残った内容は、ある日オープンテラスにてパソコンで作業をしていたこと、書いていた文章のおぼろげな内容、そしてある瞬間蜂に刺されて痛かったこと、などとなるでしょう。

 

しかし実際にはこの時、貴方の脳が処理していた内容はそれだけではないのです。

テラスの周囲には道があり、犬を連れた人が歩いていたことでしょう。

その道の脇には花が咲き、蝶々が舞っていたかもしれません。

遠くには森があり、その上には青空、そして高い筋雲。

いくらパソコンで作業していたとしても、時には目線を動かすものであり、それらは視野に入っていたことでしょう。

隣のお客さんどうしの会話やお店のBGMも耳に入っていたし、ほのかなコーヒーの香りも嗅いでいたことでしょう。

 

これらのことは、全て実際に経験していました。

「経験していた」、つまり脳の中でそれらは確かに全て処理されていたのです、並列分散的に。

 

しかしそれらは、脳の中で行われる情報処理のメインストリームではありませんでした。

メインストリームと言えば、文書を書いていたこと、そして蜂に刺されたことです。

文章書きに集中している時、そして蜂に刺されて痛がっている時に、その時漂っていたコーヒーの香りなんてその人にとってはどうでもよい。

重要な関心事ではない、関与していた神経細胞が相対的に少ない。

だからエピソード記憶に上がってこなかったのです。

 

受動意識仮説においては、この並列分散処理過程全体を行うのが「無意識」であり、ボトムアップで上がってくる時々の最重要処理課題をただ受け取って記憶装置に受け渡していく過程を担うのが「意識」と定義されます。

 

もしこの仮説の立場に立って、この無意識を改めて潜在意識と定義するのであれば、それはそれで良し。

明確な定義となるので、科学的な議論の俎上に上ります。

 

ですがこの仮説を支持するということは、とりもなおさず人とゾンビとの違いはない事、自由意志は存在しない事、などを認めることになります(ちなみに私は支持しています)。

この障壁、越えられる人はそう多くないのでは?

 

どちらにせよ、潜在意識云々するのであれば、それを明確に定義することは避けられない課題のはず。

しかし、量子力学と潜在意識や引き寄せとを結びつける多くの議論では、この定義を明確にしているものが見られません。

 

そもそも、「『意識はフォトン』論」でも書いたように、「意識」の定義が既に専門家によりまちまち、というのが現状です。

 

「潜在意識」とは何ですか?

 

科学的議論をする為には、言葉遣い一つ一つに厳密さを求め、地に足の着いた議論をすることがまず重要です。

 

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