Beyond Visibility

不思議現象を「根拠を持って」科学する

多次元宇宙8

              やや唐突に大風呂敷を広げられた観があるも知れないが、科学の歴史は「まさか」の歴史でもある。地動説支持を打ち出したガリレオに対する当時のキリスト教会の仕打ちは好例で、観測結果に新奇な理論的解釈を与えた者が、当該もしくは関連分野の古参や大御所達からは相手にされない、もしくは猛反発を食らう、などということはよくあることである。また、新しい科学的事実が明らかになったとき、その発見以前のいわゆる「専門家」達のコメントの頼りなさたるや、枚挙に暇がない。要は専門家がその専門分野においてさえも正しい予見をできるとは限らないのである。この件についてここでは立ち入らないが、宇宙が我々が住んでいるこの宇宙だけではない可能性は、物理学の最前線で実際に研究されるホットなテーマとなっている、ということは事実である。その一端を現象論と実験物理学の側面から見てみよう。
 
 
進む多次元宇宙の研究
              ここ数年ニュースなどで人工的にブラックホールが作られるかもしれないなどという話題が報じられている。ヨーロッパはスイスとフランスの国境付近にある高エネルギー物理学実験施設、「大型ハドロン衝突加速器」(LHC)での実験の話である。ここで「ハドロン」というのは、素粒子の一種であるクォーク2つないし3つで構成される粒子の総称であり、学校で習う原子核の構成粒子、中性子や陽子がこれに当たる。また日本で初めてノーベル物理学賞を受賞した湯川博士が存在を予言しその後その存在が確認された中間子もこれに含まれる。LHCを用いた実験では、全周が山手線よりちょっと短いくらいの巨大な円形の真空チューブ内で陽子を加速させ、超高速で運動する陽子同士を衝突させて出てくる破片(新粒子)を観測し解析して、起こっている物理現象を洗い出す。衝突まで陽子を加速し続ける為に加速器は円形とし、またより高効率に高エネルギーを得る為に装置はかくも巨大なものとなっている。ブラックホールについては、誰でも何らかのイメージはお持ちであろう。宇宙空間にあって、何でも(光でも)吸いこんでしまうというというアレだ。それが人工的に、しかも地上で作られるとしたら、「ファンタスティックで興味深い」を通り越して不気味さを覚える人もいるかもしれない。事実、原子核物理実験に携わる某研究者が記者会見の中で、よく不安がられるような「地球ごと飲み込まれるのでは」と言った影響は全くない旨の説明をわざわざしていた。この事実からしても、不安を訴える世論が相当程度あったことが伺える。このLHCで実際にブラックホールが生成したとしても極微のものであり、またホーキング放射という機構によりごく短時間の内にエネルギーを放出して消滅してしまう為、マクロに損害を与えるような危険性は無いのである。何にせよ、日本人のノーベル賞受賞共々、話題性の高いトピックで多くの人が科学に目を向けるきっかけになったとすればそれは良いことであろう。
              ところで陽子同士を衝突させる、しかもなるべく高いエネルギーでというのは一体何の為だろう。やかんでお湯を沸かし、沸騰させることを考えよう。温度が上がると水蒸気が勢いよく出てくる。熱を加えることによってそれまで互いに結び付き、液体の水を構成していた水分子がエネルギーを得、互いの結びつきを断ち切って独立に運動するようになって気化するのである。ではこの水蒸気をもっと高温にしたらどうなるだろう。今度は個々の分子が更に分解され、酸素と水素の原子がバラバラの状態になる。これを更に高温にすると、もっと分解が進んで原子を構成する電子と残りのプラスイオンに分かれ、プラズマという電離状態になる。物質は、高温にすればするほどより細分化され、より微細な構成粒子が現れるのである。物理学者は物質を構成する基本粒子を解明しそれらの間に働く力のやりとりを明らかにする為に、物質をなるべく細かく分解しその中身を見ようとする。その「分解」をする為にはどうしたらよいのだろう。「熱を加える」ということはエネルギーを与えるということだ。より高いエネルギー状態にすることで、より極微の世界の物理を観察することができる。衝突加速器は簡単に言うと、粒子を加速し(運動エネルギーを与え)衝突させることで、エネルギーを外から加えて粒子を分解する装置である。陽子同士を衝突させると、そのエネルギーに応じて様々な粒子が生じるが、エネルギーが大きければ大きいほど、それまでは見えなかった粒子が見えてきて、観測した事のない相互作用が現れることが期待できる。その為に大変な予算をかけてなるべく大きなエネルギーを創出できる巨大加速器を建設するのである。
              ブラックホールを実験的に作り出すことができるかもしれない。この事自体非常に興味深い、ある意味SFチックな趣のあるインパクトを与える面もあるが、ここでは別の切り口でその意味するところを考えてみよう。現代物理学の実験や観測結果をほぼあまねく記述できる一応「完成」された物理理論を標準理論と呼ぶ。完成されたと言うのは、現状ではこれを用いて実験結果や観測結果を解釈するのに何も困って無い事実があるからだ。但し近年のニュートリノ振動(地球に飛来するニュートリノがその種類を変化させる現象、ニュートリノに質量がある事を示すが、標準理論ではニュートリノの質量は0とされている)の観測に見られるように、従来型標準理論の枠を逸脱する現象も観測され出していることから、「一応」の断り書きをつけた。このような観測の進展と新事実の積み重ねが、ゆくゆくは標準理論を越えた新しい理論構築へとつながるのではとの期待がある。現行標準理論が実験結果をうまく説明できているにもかかわらず、その様な期待が持たれるのには訳がある。例えば物質を構成する粒子の種類。原子核内部にある陽子や中間子等を構成するクォークは第一、第二、第三世代と呼ばれる世代ごとに分けられており、各々2種類、計6種類の粒子が標準理論では予言され、そして実際に見つかっている。なぜ世代数が3なのかは判っておらず、第四世代、第五世代が存在する可能性もなくはないが、その様な可能性を示す実験結果は今のところ得られていない。それはともかくとしてより問題なのは、クォークと呼ばれるものの内この宇宙で自然に存在するのは第一世代の粒子、トップクォークダウンクォークだけなのである。では第二世代以降の世代の存在意義は何なのか。現時点では不明である。更に、この宇宙に存在する相互作用(粒子間に働く力)について、現在のところ物理学では四つの相互作用、即ち私たちにおなじみの電磁気力、重力、そしてそれ以外に「強い力」、「弱い力」と呼ばれる相互作用が知られている。この内重力だけが極端に小さい。どのくらい小さいかと言うと、それ以外の三つの力の中で最も小さい「弱い力」と比べても、概ねその約1034分の1、つまり1兆分の1の1兆分の1の100億分の1程度に過ぎない。他の三つの力はその強さの比率は1106の中に収まっているのであるから、要するに重力だけが格段にかけ離れて小さいのだ。この一見したところの不自然さに対し標準理論は納得のいく説明を与えてくれない。更に言えば、標準理論には人が手で与えなければならないパラメータが多すぎるのである。力の大きさはその一例であり、重力は何とも小さいこういう値だ、と外から人が与えてやるのが現行標準理論である。だが我々が欲している根本理論は、なるべく単純な指導原理から始まり、様々な物理定数が自然な帰結として得られるようなもののはずである。(つづく)
 
 
の中のVolume 5, Number 10, October 2013
"Fermion field in the vicinity of a brane"