Beyond Visibility

不思議現象を「根拠を持って」科学する

多次元宇宙20

           合理性のもう一つの面として、例えば心霊が生前と同じ風貌で、服を着ていることへの疑義がある。この世に生きている我々の風貌は、歳と共に老化し、歳相応の変化を遂げる。この年月に伴う風貌の変化は、他界後も起こるのか、起こらないのか。起こるとすればどのように進むのか。起こらないとすれば、それはなぜか。人体への損傷が「死」即ちこの世からあの世への魂の遷移を引き起こす、そのメカニズムは?どの程度下等の生物まで魂の存在を考えられるのかなど、個人の知識経験や主観、直感を基にした判断基準による妥当性の検討が挙げられる。これを「自己合理判断」と呼ぶ事にする。余談だがこれらの合理性の2種類の定義、付与合理判断と自己合理判断は、認知心理学エヴァンスの定義した合理1性、合理2性に近いと思われる。エヴァンスによれば前者は規範理論などの公共のルールによらない、個人の目標に到達するのに効果的な意思決定、後者を規範理論が認める非個人的な意思決定とし、特に前者は無意識的直感的行動が結果的に合理的に解釈できるものであるとする。付与合理判断が合理2性、自己合理判断が合理1性に類似するが、筆者にとって自己合理判断は「直感的行動が結果的に合理的と認められる」意思決定というよりはもっと能動的な考察の結果である。付与合理判断よりは直感に頼る部分は当然大きいけれども、やはり批判的考察や吟味を通じて、個人なりの経験知識を通じて判断される合理性である。
              ここでやっかいなのは、直感性の強い方の自己合理判断に人はより左右されやすい、ということである。その後に続く、より時間をかけた冷静な考察による付与合理判断の結果は、その考察次第で変わる可能性はありつつも、それ以前に行われた自己合理判断の結果に大きく影響を受けるのである。「冷静」と言ったところでそれは自己合理判断に比べれば、という程度の限定的な意味合いである。例えば人を見た目で判断するのは良い例である。身だしなみが人となりをある程度は表わすことに筆者は異存はないが、100%その人の内面的な部分まで評価できるわけでもない。「この人には意外な一面があるのだな」と感心する事例は珍しくもない。しかし一目会った時の見た目の印象は、当該人物評価に強く影響を与えることは厳とした事実である。営業マン教育や対人コミュニケーションのセミナーなどでは、身だしなみからしゃべり方、笑顔の作り方、歩き方、部屋への入り方、座り方等々が相手側からの評価対象となり、与える印象に影響を及ぼすであろうあらゆる一挙手一投足に及んでその作法が処方される。この事は如何にファーストインプレッションが大事かを示しているが、このファーストインプレッションがダイレクトに作用するのが自己合理判断、すなわち直感性の強い自己流合理性判断なのである。人心のこのような合理性判断様式に付け込んでいるのが、前章で例示したTV番組での演出や話術と言える。CGを含む画像編集技術を駆使した、ダイナミックで鮮やかな映像展開に音響技術がミックスされた導入部分で視聴者を惹きつけ、スカスカのスポンジケーキに前述のような大げさなパフォーマンスとおしゃべりで真実味という名の分厚い生クリームが塗られ、タレントたちの迎合的立ち回りのトッピングがたっぷり盛られた、美味くていくらでも食べられそうなケーキが提供される。挙げられている証拠を吟味し、脈絡を丁寧にたどれば落とし穴はいくらでも見つかるはずなのに、番組の急速な展開は付与合理判断のいとまを与えない。直感的寄与の大きい自己合理判断で視聴者は番組スタッフの敷いたレール上を終着駅へと運ばれてしまう。(つづく)
 
 
の中のVolume 5, Number 10, October 2013
"Fermion field in the vicinity of a brane"