Beyond Visibility

不思議現象を「根拠を持って」科学する

多次元宇宙21

              権威に対する迎合が目と心を閉ざさせる。TV番組の例を挙げ、「権威」という言葉の意味を広くとらえた上で我々の意識、特に判断基準へのその影響を見てきたわけであるが、以下ではもう少し分かりやすい例を考えよう。例えば職場で上司と呼ばれる立場の者は、新人に比べれば仕事はでき(金を持ってくることができ)、また先輩であるという事実からも権威があり、得てして不合理を新人に押し付けがちである。また一般的な傾向として、定年間近になると若い人の意見を聞かなくなりがちだ。若い者に意見されて自説を曲げることを屈辱と感じるのかもしれない。組織の方針が長老格一人の意見に集約されてしまう。これはなにも珍しい事ではなくどこでもあり得ることだ。こうなると組織は硬直化し、新たな発展を望むことが難しくなる。そういう意味で定年延長は、理にかなう部分もあるのだろうが筆者は弊害の方が大きいような気がしている。それはともかくとして、科学の専門家はおのずからその専門分野において発揮する権威たるや絶大なものがある。実はそこに罠がある。TVで何か問題を取り扱う際、その分野の専門家として○○大学の△△教授が出てきてコメントをする。一般人では知りえない知識を元に、思いつかない切り口で問題を分析して見せる力はあるだろう。しかし研究室という職場の中では、その権威に絡む弊害の危険性は会社組織となんら変わらない。研究室内で、本当に自由闊達な議論ができているかどうか、自分の強い立場が悪影響を及ぼしてないか教授先生は自問して欲しい。歴史的に例えば、ガリレオの地動説に対しキリスト教の当時の権威が強権を持ってこれを押さえつけた経緯は余りに有名である。他にも例えばスティーブンス工科大学のヘンリーモートン学長は、エジソンの電球の発明を詐欺と決めつけ、ジョンホプキンス大学のサイモン・ニューコム教授はライト兄弟の飛行実演以前に、機械が空を飛ぶことは不可能と明言していた、といった具合である。新しい技術や知識を前に、知識量が一般人より多いはずの専門家と言えども間違った見識や予見を持つことは大いにあり得ることに注意が必要だ。特に大家と呼ばれるような人の言葉は影響力が大きい。職場での上司の不合理の押し付けのごとく、科学界の大家の「心霊現象」批判が度を越えることはないのだろうか。立命館大学A教授は、講義の冒頭で手品を見せ、如何に超能力まがいの事をタネありの手品で引き起こすことができるかを見せている。このことは、「騙されてはいけない」「如何に人は騙されやすいか」をアピールする上で効果があるであろう。また興味を惹く為の講義の導入としての「つかみ」としても便利かもしれない。しかしいくら超能力的振舞いを手品で見せることができたとしても、またそれをいくら数多く見せたとしても、世にある超能力が一般的に手品であることの証明にはならない(おそらく当A教授もそこまで主張するつもりはないだろうが)。「ない」事を証明することは論理的に不可能とも言われる。が、その証明へ向けての努力は正当な科学的活動であり、否定するつもりはない。「どうやらなさそうだ」ということを定説とする為には、慎重かつ綿密な検証が必要である。物理学の標準理論とうたわれる量子力学にせよ、相対性理論にせよ、現在でも検証実験は続いている。その意味では正当なる謙虚さをもって科学者は臨んでいると言える。ではなぜ心霊現象や心霊体験に同じような謙虚な検証努力が払われないのだろうか。科学の大家の言葉に騙されるな、と敢えて言いたい。
              科学と宗教では果たす役割が異なる、とする議論がある。青森恐山のイタコの減少・高齢化の報道の中で、自殺者の遺族が身内を救えなかったことに胸を痛め、なぜ自殺したのかを知りたくてイタコにすがる例が多い。また近年、犯罪が少ないと言われる日本にあっても、通り魔や無差別殺人、飲酒運転による事故など、不条理かつ身勝手な他人の行為で肉親、特に我が子を亡くす親の事例を多く目にする。死を永遠の別れと捉えるのが現代社会、現代科学の「標準理論」であるが、そのことを受け止める事が身を切るほどつらいと感じる人は大勢いるはずである。愛する肉親を失った者が、死後存続の可能性に思いを馳せ、自分を納得させようとする時に、宗教とは役割が違うと言って、前述のTV番組のように現代科学の名を借りて大上段にこれを切り捨て、決めつけ的手法で断じてしまうのはいかがなものだろう。お笑い芸人が「ハゲ」や「デブ」などの差別用語を乱発しながら笑いを取るのと、どれほど質的に差があるのか。民放各局は事あるごとに番組の質向上に努めますなどと言う。言葉の羅列は簡単であり、肝要なのは実践だ。簡単にこなされる仕事ではないはずだ。それが単なる不祥事に対する批判かわしでないことを願いたい。
(つづく)
 
 
の中のVolume 5, Number 10, October 2013
"Fermion field in the vicinity of a brane"