Beyond Visibility

不思議現象を「根拠を持って」科学する

多次元宇宙15

「京都は遷都以来幾多の戦を経験しているが、寺社で写真を撮っても一度も心霊写真を撮った事はない。」
撮った事はない、とはこの話し手(K司会者)のあくまでも個人的な経験であり、寺社で心霊写真が撮れてしまった人がこの世に皆無かどうか調べようもない。募集すればおそらく応募してくる者はいるであろう。何よりも、多くの死者が出た場所で心霊写真が撮れない事実が仮にあったとして、それが論理的に心霊がいないことの証左にはならない。それなのにTV番組の中でK氏のように元お笑い芸人でしゃべりの得意な者が立て板に水とばかりに淀みなくまくしたてると、何やら完全に論破され、証明が済んでしまったかのごとき流れができてしまう。そこがTV番組の恐ろしいところである。K氏は別の言い方もしている。「広島で写真を撮ってみろ」と。原爆の被害者があれだけいるのに心霊写真は撮れないじゃないか、とのこと。これも同様であり、個人的経験として心霊写真が撮れないからと言って心霊や他界の存在を否定する証明とはならないのである。挙げ句に「バースは広島市民球場でホームランを打てるはずがない(アメリカ人のバース氏には被爆者の霊がとりついて金縛りにかかるはずだから)」とまで言うが、これはもうバラエティの骨頂と言うほかはない。
              K氏とO教授は「我々は否定しようとしているのではない。むしろ(心霊が)あって欲しいと思っている。どうか検証させてほしい」などと殊勝な事を言うが、「広島で心霊写真が撮れない」から云々というのはまさに否定の為の否定であり、否定の結論先にありきである。きれいな言葉、もっともらしい言葉、かっこいい言葉を並べる事はこの世で最も簡単なことである。政治家は弁の立つものであるが、我々選挙民が選挙時のマニフェストを鵜呑みにし、後々裏切られたと後悔しない為には、政党なら政党、個人なら個人の歴史、日々の実践をも大いに評価せねばならない。言葉だけなら、自民党から共産党まで政党はそのほとんどが民主主義が大事と言う。要はその中身。何をやって来たか、今実際何をせんとしているのか、実践で評価されるべきである。政治に限らず人の評価は常に、言葉だけでなくその人の実践を評価対象としなければ、正確な評価は望めない。上でいくつか見た実例を見れば、K氏やO教授が「心霊があって欲しい」などと思っているというよりは、否定することに躍起になっているのが実際のところである。いや、あって欲しい、などと思う必要はない。個人的な願望はどうでも良いのであるが、少なくとも客観的に中立公平な立場からも程遠い、と言える。少なくとも証明できてない事をあたかも証明できたかのように言うのは誤りでありやめるべきである。もし検証をするのであれば、純粋に個々の事例を物理現象や心理現象などとして解明できるかどうか検討していく他はない。オーブとされるものが浮遊する動画を見てO教授は空気の対流と同じ動きをするから、それが埃か何かの空気中の浮遊物だと断じた。そう思う気持ちは筆者にもある。そう思うのが最も「自然」に感じる。しかし冷静に考えると動きの仕方が空気の流れと同様だからというこの一点だけで、オーブが人の魂でなく埃等の浮遊物であることを証明したことにはならない。
              O教授にまつわる、TV番組外での逸話を一つ。このO教授はいわゆる火の玉の研究でも有名で、火の玉現象の原因の一つとしてマイクロ波の干渉による発光現象との持論を展開し実験も行っている。ところで、ある写真があり、そこには夕方のどこかの墓場とそこに浮遊する何やら光る物体のようなものが写りこんでいた。火の玉という不可思議な現象を科学的に解明しようとする態度には大いに賛成であるのだが(科学者として当たり前といえばそれまでだが)、この写真についてO教授は、その光る物体が正真正銘の火の玉(勿論自然現象としての)であると断じた。ところが当時東大大学院工学系研究科の学生でUFO研究会なるものを主宰していたF氏はこれを太陽光の写り込みによるレンズフレアとし真っ向から対立した。その後の論争の結果双方の結論はF氏の言うとおり明るく角度の浅い夕陽の光の影響によるレンズ効果ということで落ち着いた。筆者も当該写真を見せてもらったが、どちらともとれるが、画面の外だが近い角度に太陽がありその影響と考えるのが妥当だというのが率直な印象だった。少なくとも火の玉と断定できる代物でないことは確かだ。物事を断定するにはそれなりの根拠が必要である。無理な断定は足元をすくわれる要因になる。この逸話に関して言えば、彼の見立ては早い話学生にも足元をすくわれる程度のものだということだ。(つづく)
 
 
の中のVolume 5, Number 10, October 2013
"Fermion field in the vicinity of a brane"